福岡伸一教授と東洋医学のあいだ
昨日Eテレの最後の授業という番組で、福岡伸一教授が講義をしていました。生涯最後の授業をするなら何を話すか?というお題のもと、大学生を前に生命とは何か?ということをお話しされていました。
福岡教授は「生物と無生物のあいだ」という著書で有名になった生物学者です。その中で、生物について「動的平衡の中にある流れだ」という独特の言葉で説明しています。
動的平衡とは、例えば山手線は毎日違う人が行き交っても、線路を交換しても、新しい車両を導入しても、駅を改築しても、山手線には変わりない。
人の体も同じで、細胞は日々新しいものに入れ替わりながら、その生物を維持している。一年前の自分と今の自分とは、ほぼ全て入れ替わっているが、自分として変わらず存在していることをいっています。
そう考えると、生命は誕生と死を続けながら地球上で30億年以上も存在しているともいえると。
動的平衡を続けるには、生物のからだを骨、筋肉、内臓といった部分で考えるのではなく、全てが相補性をなしている流動体のようなものだととらえることができる、とも。
福岡教授のなにが興味深いかというと、こういう考え方が東洋医学、東洋思想に通底するところがあるからです。
東洋医学も解剖して人体を観察したりもしていましたが、治療を考える上では全然重要視してませんでした。
残っている文献の絵とか、めちゃくちゃ雑だったりします。
部分より全体で病を考え、治療方法を考えるやり方をとってきたのです。
また、生物の動的平衡はひとつひとつに違う秩序があるっていうのも、人のからだを証の違いで診る東洋医学の発想と同じです。
鍼灸治療をやってる側からすると、そうそう、そうだねーと思ったりするけれど、現在の医療は、臓器移植とかips細胞とか、部品として人体をみる方向に加速してもいる。
それが有益に働いてたくさんの人が救われているのも事実なので、よいことだとは思います。
腎移植で透析から解放されて自分らしい生活を取り戻したり、角膜移植で目が見えるようになったり。
自分の親しい人が救われるなら、迷わずそうしますね。
でも一方で、脳死の定義とか、臓器売買とか、考えなくちゃいけない問題もはらんでくる。
自己免疫疾患とか、部分で考えても治せない病気もある。
だから福岡教授のような目線は、どこかに持っているのがいいんだと思います。
鍼灸師としては、逆に西洋医学なんて、という発想に陥らないように気を付けないといけないところですが。
どちらもよいところがある訳なんで、どちらの見方も否定せず、うまく使い分けられるのがいいですね。
それにしても、福岡教授の、生命って素晴らしいんだよってことを心から伝えたいという気持ちがとても印象的でした。
(ビバ命って言ってた!)
結局彼は、命に対して向き合うときに畏敬の念を忘れちゃいけないよって言いたかったのかも知れないなーという気がします。