愚痴ってもよいのです
治療中、患者さんとお話しすることがよくあります。
最近の出来事などが多いのですが、帰り際に「今日は愚痴を言ってしまってすみません」と謝られる方もいらっしゃいます。
自己嫌悪の感情もあるのだとは思いますが、こちらとしては愚痴でもなんでも話していただいて、まったく問題ありません。
もやもやしていることがあれば、ここに置いていってくださいとお伝えしたいくらいです。
愚痴をいうことは、世間的にはあまりよいこととはされていません。
なんの解決にもならないし、聞かされる側はネガティブな感情を浴び続けなくてはならない。
アドバイスなんかしても、「でもでもだって」で返されては言わなきゃよかったと後悔すら覚える。
確かに、近しい間柄ではつらいかもしれません。
でも、感情をためこんでしまったままでは、いずれ心身に影響が出ます。
どこかで、吐き出した方がよいのです。
となれば、第三者的立場であるここでお話しするのがよい選択ではないでしょうか。
東洋医学では、肺虚の人は愚痴っぽくなります。
もっとざっくりだと、虚証の人は愚痴が多く、実証の人は寡黙な傾向にあるといわれます。
鍼灸院にいらっしゃるということはだいたい虚証になっているので、愚痴が出るのはむしろ普通と言えるかもしれません。
実証、つまり肝実の人は瘀血という滞りがあり、気血の巡りがよくないために自ら発することが少なくなります。
肝実ということは脾虚になっており、脾虚の五神は「意智」なので、虚すと思い悩むようになります。
思い悩み、それを発することができないとなると、うつっぽくなってしまいます。
寒証(冷えが強い)の場合も、発する力が弱くなるのでうつっぽくなります。
気持ちをため込むということは、自らの心を攻撃してしまうことになるのです。
話すことで気も動きますし、気づきも生まれます。
このことばかり話すということは、ああ言われて実は結構傷ついていたんだな、とか、こういうところが自分は気になって消化しきれないんだなとか、半ば無意識の愚痴の中に発見があったりします。
ものごとを解決する方法は、その手段を見つけることだけではないと思います。
最短距離だけ行こうとしなくても、いずれたどり着けばよいのではないでしょうか。
ぶつぶつ言いながら、だらだら進んで行くのもまたよし、です。