東山魁夷展に行ってきました。
東京新美術館で開催中の、東山魁夷展。
この展覧会はノーマークでしたが、母親に誘われて、行ってきました。
母は、2年前に唐招提寺にいったときに、時間がなくて東山魁夷の襖絵を見ずに帰ってきたことがどうやらひっかかっていたようです。
シンプルな構図と色使いながら、日本らしい風景を美しく描いている絵が多いです。
山深く樹々が幾重にも重なる風景、湖に山の景色がそのまま映り込む風景など、山の風景が多い印象ですが、唐招提寺の襖絵の波の描写はとても素晴らしかったです。
沖から浜に向かって、岩にぶつかりながら寄せていく波。
岩にあたって砕けた後海に散る泡、高く盛り上がって崩れる白波、浜辺が近くなって薄く広がって消えていく海の表現、美しい。。
鑑真のふるさとである中国の情景は、水墨画風にモノトーンで柳が池のほとりにそよいでるさまは、日本の情景ではないのだけれども、よくみる水墨画とは違って東山魁夷独自の解釈というか個性で描かれています。
10年もかけて作品を仕上げるというのは、どういう気持ちなんでしょうか。
東山魁夷は書きたい風景を見つけるために、日本中を旅したり、この襖絵に関しては中国を旅したりしています。
そういうモチベーションはどこからくるのでしょうか。
嫌になったり、飽きたりしないのか、、そんなこと思っていいのかしらとなんだか圧倒されました。
明治以降の現代的な日本画では、鏑木清方や小倉遊亀みたいな線のシュッとした感じで、余白が効いてるような絵が好きです。
東山魁夷の絵はそれに、きれいすぎるし。
まぁ確かにきれいすぎて逆に現実的ではない感じを受けるんですが、雪の積もる山の絵を見た母が「田舎(祖父母の出身地という意味)みたい」と言うのを聞き、見れば確かにそうなんです。
これは見たことある景色だなと思ってしまうんです。
それに、山の中腹から霧が立ち上っている絵なんかは、ふわぁーっと見てるこちらにも霧がせまってくるような感覚に陥ります。
決して写実的ではないのに、見る人の心に懐かしさを沸き上がらせたり、視覚以外の感覚を呼び起こすような絵が描けるというのは、素敵なことですね。
さて美術館を訪れたあと、母の神宮外苑の銀杏並木をみたいとのリクエストに従い、六本木に戻って1駅乗るよりはと、徒歩で行ってみました。
銀杏はほぼ黄色くなっていて、とてもきれいでした。
そして神宮外苑ではいちょう祭りの最中。
こんなのやってるとは知らなかった。
日本各地のおいしいグルメの屋台が並び、ビールと広島焼きなど飲食し、思ってなかった昼ごはんを楽しむことができました。
結局歩いて明治神宮まで!
参拝は暗くなってしまって、途中で引き返してしまったけれど、六本木から原宿まで
歩いてしまいまして、だいぶいい運動になりました。
天気がよくてなによりでした。