鏡では左右が反転する?していない?右左に関するあれこれの話
昨日(と、おととい)の「チコちゃんに叱られる!」で、鏡で左右が反対になるのはなぜ?という疑問がテーマになっていました。
いつもはスパッと答えてくれるチコちゃんですが、この疑問については初の「わからない」という解答(?)。
なぜわからないかを掘り下げていくと、左右の奥深い世界に迷い込んでいきます。
まず左右は、前後や上下が決まった状況で認識できる感覚ということ。
無地のお茶碗を鏡に映しても、左右が反転したようには見えません。
前後が決まってないからです。
なるほど。
対して前後が決まっている人間が鏡に向かう時、その前後が逆になっています。
だから左右が反対になって見えると。
それが物理的な回答。
問題はそこからで、自動車のバックミラーで後方からくる車のウインカーは左右反転しているはずなのに、間違わずに右に車線変更するんだな、などと認識することができる。
これ、バックミラーじゃなくて大きな鏡の前で自分の乗った自動車を映してウインカーを付けたら、またちょっと左右の感覚が変わるのではないでしょうか?
右のウインカーを点滅せているのに、鏡に映る車は左のウインカーが点滅しているようにみえると思います。
要するに、なにを主体に左右を見るかで変わってしまうということなんですね。
また、鏡に映ったものの左右が反対になっていると思わない人も3割くらいいるとのこと。
そういう人は、鏡に映る主体を鏡の向こうにおいてないっていうことになるのでしょうか?
感覚とか、認識の違い、脳の中の話になってくるようです。
鏡に映るものを認識するということは案外不思議なことなんですね。
鏡の位置が正面だと、このように左右反転問題がありますが、みずうみなど、鏡が下にあれば今度は上下が反対になります。
透明な板に書いた文字を、書いた面を自分の方に向けたまま鏡に映すと、字は反転しません。
紙に書いた文字を鏡に映そうとして、書いた面を鏡に向けると、文字は反転します。
だんだん、わからなくなってきますね。。。
わからないといえば、左右盲(左右失認)という言葉があります。
左右の感覚がとっさにわからなくなるもので、病気や発達障害としては認知されていませんが、そういう思いをしている方は一定数いるようです。
自動車の運転をして、そこ右!とナビをしてくれる人から言われて、とっさに左に行こうとしたり、、という経験がある方もいるかもしれませんね。
という自分もその気がありまして、右左の感覚が混乱することが時々あります。
左利きということも影響があるようです。
治療に支障が出ないよう、気を付けていますが、うつ伏せになったりすると左右が反対になるので、あれっ?となることも。
なので、右の腰が、というより、この辺が痛い!と純粋に場所で認識するようにしています。
鏡のところで述べたように、左右は上下・前後が決まらないと生まれませんので、その理解は脳にとって案外難しいのかもしれません。
さて、東洋医学でも左右については決まりがあります。
陰陽では、左=陽、右=陰です。
これは、「天子南面す」という考えというがあるからです。
天子、つまり国のトップは中央にいます。
そして政(まつりごと)をする際、南向きに座ります。
すると東に左、西に右がきます。
日が昇ってくる東は、これから正午にむかって陽が強くなるので陽、日が沈む西は、夜という陰に向かいますので陰です。
そのため、左が陽で、右が陰という訳です。
この東洋医学というか東洋思想の左右については、様々なところで見ることができます。
例えば、
左右の訓読みですが、ひだりのひ=火=陽、みぎのみ=水=陰という意味もあるようです。
左大臣と右大臣では、左大臣の方が偉いです。(この上に太政大臣がいますが。)
古事記によると、太陽(陽)の神である天照大神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の左目から生まれ、月(陰)の神である月読神は、右目から生まれています。
このような例は他にもたくさんあります。
慣用句では、「左右する」は、あるものごとに決定的な影響を与えることという意味で用いられています。
右か左かどっちか決める=決定的なことという訳で、逆に言うと左右が決まってない状態とはとても曖昧というふうに考えられます。
しかも、訓読み(みぎひだり)と音読み(さゆう)では、順番が反対です。
上下は同じ(じょうげ・うえした)なのに。
漢字も似てるけど、書き順は逆。。
人を混乱される仕組みが何重にも仕組まれているような気さえしてくる、左右のお話しでした。