よいと悪いのあいだに
鍼をして痛く感じるところとそうでないところがあるけれど、痛いのはそこが悪いのですか?
と尋ねられることがあります。
私の脈、変ですか?とか。
気になるよな、と思いつつも、聞かれると案外回答に困る質問ではあります。
病院などでは、喉が腫れていますね、骨にひびが入っています、数値が基準を超えています、など、「悪い」ところを見分けやすいかと思います。
健康な状態ではないとされるところ、病変箇所を「悪い」と考えればよいからです。
逆にどんなにからだがだるくても、例えば血液検査で異常がなかったりすると「悪い」状態とはみなされません。
頭痛がしても、「悪い」ところがなければ、痛みを抑える薬が処方されるだけです。
東洋医学では、「よい」と「悪い」の境界線がありません。
健康、という概念がないともいえます。
完璧に健康な人は存在せず、すべては程度問題なんですね。
偏りが大きくなってからだに具体的な影響が出れば、それに対して直接治療するだけではなく、その偏りを正すというやり方をします。
正すと言っても、完璧な健康状態を目指すのではなくて、その人が持って生まれた偏り(素因)の状態に戻すことを目指します。
そもそも、すべてのバランスが完璧に整った人は生まれてくる必要がない、と東洋医学というか東洋思想は考えます。
偏りがあるから、他の人と混ざりあい、補い合えるのです。
お城の石垣にキレイな立方体や球体は無いし、あっても使えないないように、いろんな形があるからこそ役立つ場所があるということなんですね。
東洋思想、深いな。
今の世の中、少しでも問題があると、そこから排除される傾向にあります。
人と違っているところがあるといじめられたり。
同じことができないと居づらくなったり。
でも、完璧を目指すその先には、誰も残らない。
なぜなら人は偏り、つまり(完璧からみた)ダメなところを持っているからです。
それならば多様性を受け入れて、補い合う方がむしろ効率的なはずなんですよね。
いわゆる西洋のほうがそっちの方向に進んでいるのが、なんとも皮肉な状況だなと思います。
どこか悪いのかと尋ねるその奥には、「悪い」ところはなくしたい、少しでも「よい」状態でいたいという考えがあるのかもしれないと思います。
その「よい」も「悪い」も具体的な、絶対的な基準て実は存在しなくて、悪いところがあったらどうしようという不安と、大丈夫と言われて安心したいという気持ちがあるような気がします。
なので、どこか悪いところありますか?と聞かれても、大丈夫ですよ~としか答えないと思いますので、期待(?)はしないでいただればさいわいです(笑)。